ファッション哲学

脚やせに悩む人たちが、(いるとすれば)伝えたいこと。

パーソナルスタイリスト・ツルタです。

ほとんどの女性が、脚は細くなければならない。という固定観念をお持ちなのではないでしょうか?細くないから悩んでしまう。というのもおかしなもの。そもそも脚を出す必要がありますか?これを読めば、脚のお悩みなんてなかったことになるはずです。

ほとんどの方が、脚に対するお悩みを持っています

『私は脚が太いのでスカートは履きません』

『腿の付け根が出っ張っているのでぴたっとしたパンツは避けます』

『ふくらはぎが張っているのでスキニーパンツは苦手です』

 
 
特に女性であれば、一度くらいそんな風にお悩みを抱えたご経験があるかと思います。スタイルが悪くみえるから、こんな服は着られない。脚は見せられない、自信がない…。
 
 
たしかに、そんな風に考えてしまうと重大な悩みに思えてきてしまいますね。でも、そもそも脚を出す必要があるのでしょうか?脚の形状があらわになるような、肉感を拾う服を着る必要があるのでしょうか?
 
 
 

脚について、洋服の歴史をひも解く

洋服の歴史において脚を出すのは卑猥なことだという価値観の時代(1850年代)がありました。
 
 
ですからその時代、「脚」という言葉を口に出すのもはばかれるほど恥ずかしい単語であったので、脚という脚は何でも隠していました。
 
 
テーブルの脚も長いテーブルクロスで隠したり、ローストチキンの脚でさえも布などで隠されていたのです。
 
 
 

ココ・シャネルに学ぶ、上品な装いについて

当時の女性服はコルセットでウエストをぎゅっと締めてウエストを細く見せ、スカートを広がらせ長く纏うもの。

 
 
ココ・シャネルは、現代女性服の基礎を作った人とも言われています。ココはいわゆる当時のモテファッションを、一掃するのです。
 
 
男性服に着目しシンプルで機能的に。装飾をなくし、動きやすい素材と形で自由を求めました。
 
 
そこには、男性に媚びないという強い信念と、女性は品よく美しくという持論があってのことだったと思います。
 
 
先日、たまたま録画されていたクレイジーズ 世界を変える物語「ココ・シャネル」を見ました。
 
 
その中でココ・シャネルの言葉にもありましたが、膝上のスカートが流行りだしたころにインタビューされたココは、「肘や膝が綺麗な人はいない。膝を出すなんて!」と怒っていらっしゃいました(笑)
※画像はネットより
 
「女性は女性らしく上品であるべきよ!」
 
 
このような洋服の歴史から、足元は粛々と隠すことが上品さにつながることだ、と考えることができます。
 
 

脚はきれいであるべき?脚は出すもの?

若い時代に制服のスカートを短くしたがり、その楽しさを覚えてそのまま大人を迎える…それも分からなくはありません。
 
 
しかしそうもすると、脚を出すことに抵抗がなくなる、または、きれいな脚の人を見れば羨ましくなるという状態になり、自分の中の価値観に脚がきれいであること、というのが芽生えてしまうかもしれません。
 
 
お気持ちは分かるのですが—。

 

マイスタイルを持ち、貫くこと

もちろん、スカートの長さは時代とともに変わっていくものです。年齢や経験などの影響によって、自身のファッション観も変わります。
 
 
ですが、そのようなファッションの流行や価値観は変われど、自分自身の真髄(人生観・マイスタイル)は変えない。このことを申し上げたいと思います。
 
 
私のスタイルは【シンプルに・美しく・自然体】でありたい。そういった心掛けにより『上品である』という状態であり続けたい—と、そう常に思っています。
 
 
例えば、「口に合わないから食べない」「健康に良くないから飲まない」という飲食の好みと同じく、もっと自由に要らないものは要らないと思えば簡単です。
 
 
私からすると脚のお悩みは、全く悩みに値するものではありません。出したい人は出せばいいし、脚に自信がない人は、私のように出さなければいいだけの話ですから。
 
 
たったそれだけのことだと思えば、シンプルにいきられます。もっと他の素敵なものごとについて、時間を掛けて、深く考えられるようになります。やはり装いは、スマートに美しく—そう、ありたいものです。
 
 
ABOUT ME
Junko Turuta
好きな言葉は、「シンプルに」・「心美しく」。 苦手なことは、「人と同じこと」と、「自分らしく振る舞えないことの全て」。 美しい人生とは、美しい装いであり、美しい志事(仕事)をすることだ。