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「父の終末期がん」に寄り添って、私が得られたもの

ミニマリスト・ツルタです。

父の終末期は非常に美しいものでした。みな死に対して恐怖を覚えるのは当然のことです。しかし、たいせつなことを見失わないためにも知っておくといいミニマムな考え方を、わたくしの経験をもとにご紹介します。

終末期とは?

終末期、いわゆる高齢者や病床のかたの最期のこと。医療の分野で「終末期ケア(ターミナルケア」、「終末期医療」、「終末期看護」といった言葉を耳にしたこともあるかと思います。

 

そこでたびたび問題になっている、終末期医療。

 

例えば、高齢者が口から食べられなくなった際の胃ろう問題や、そのほか延命治療にまつわる問題などです。特に最近テレビでも話題なのが、認知症患者の寝たきり状態は延命により長くて5年以上となるケースがあり、ご家族の負担も増えてきます。

 

終末期をどう過ごすかは、患者とそれを支える家族が決めることです。なにがなんでも延命を望むのか、それよりも一日一日の質を大事にするのかなど、ご家族それぞれに考え方があり答えがあります。

 

終末期というと重苦しい話題ですが、だれにでもそれは訪れます。この世に生を受ければいつか終わりがくるのです。

 

死と向き合うと悔いが残らない

死という問題は、誰もが避けて通ることはできません。

 

わたくしも40を過ぎますと、それなりに近親者の死の現場(お葬式)に遭遇してきました。

そんな中、大人になって気が付いたことがあります。

 

その方の生きざまは死に行く様(さま)にあらわれるということです。通常、人の生きざまは生前の様子に目を向けてしまいがちです。しかし生きざまには、死という側面もあるということです。

 

美しい最期が、みなそれぞれにある。

 

最後の最後まで力強い生きざまを見せてくれ、美しく眠るように最後を迎えた父の最期もそれは見事なものでした。

 

通常我々は、何もない普通の生活において目標を立てたりどう生きていくか、といったメインテーマに目が行きます。

 

でも実は、「どう生きるか」と、「どう死んでいくか」は同じ人生であります。生きざまとは、生きているときから死んでいくその姿までが、人の生きざまなのです。(私は死ぬときも、残るものと美しく過ごし、かっこよくありたい)

 

「人生」を生きるということには、死まで含まれるということ

 

ですから、人生とは誕生~死までのひとくくり。そう捉えれば、死とは当たり前のことで身近なことであるということに気が付きます。でもなにも恐れることはありません。

 

死という恐れを受け入れるには、まず生きている時間をたいせつに過ごすということ、そこにしっかり目を向けます。日々たいせつに過ごしたその先に死があるだけのことですから。

 

残された時間をたいせつに過ごすことに専念します。それによって恐れから自然と目線を外します。

 

死にゆくかたは(意外にも)穏やかなものです。

 

どちらかといえば死に対する恐怖や不安は、残された者のほうに重く感じられるように思います。残された者の心の在り方・喪失感などとどう向き合うか…そういった問題のほうが大きいのかもしれません。

 

でも・・・みな最後があるのは同じです。

 

そして親を見送るということについても、おおくのかたが避けて通れない同じ課題です。どうせなら目を背けずに身近に感じられたほうが心も楽(らく)になり、むしろ良いことだと思います。

 

「終末期がん患者」を抱えて我が家がした、シンプルなこと

父のがん(ステージ3)が分かった時にまず家族と話をしたのは、

 

「日々、お父さんと過ごす時間をたいせつにしよう」

 

というこれだけでした。

 

家族に何ができるかー。

 

病気についていろいろ調べることや、病気に打ち勝つために治療を何が何でも応援するといったことは、いたしませんでした。

 

代わりにしたことといえば、

 

  • 常に父の顔色を見る(心の様子などに気が付いてあげる)
  • 話をきく(前提として、普段の何気ない会話を楽しむ)
  • 病院に付き添う(病院までの道のりでは祖父の会話などの思い出話しなどを楽しむ)
  • 入院時のお見舞いはなによりも優先する(病院嫌いの父でしたので、なるべく顔を見せることに専念)
  • 孫をつれて毎晩ご飯を食べに行く(祖父母にとって孫が一番のくすり^^)
  • 昔話をしながら、何気なく「感謝」や「愛情」を伝える(言えなかったこと、言いたいことを照れ臭いながらも伝える)
  • 心配な顔や深刻な顔を見せない(穏やかな態度で接する)
  • 手伝ってほしいと言うまで、こちらからは手出しをしない(父の尊厳を守る)

 

このようなことでした。

 

なによりも、

 

  • 家族は普段通りの生活をすること
  • 穏やかに一緒の時間を過ごすこと

 

時間を一緒に過ごすこと。シンプルにこれだけに集中するのです。集中することで不安に襲われることもほとんどありません。

 

とにかくただただ、父のと時間を共にする。これにより、父に対しての悔いは、(まったくとは言いませんが)残りませんでした。

 

私が得られたかけがえのないもの

「親孝行、したいときには親はなし」になりたくなかった私

父が、自らの父(わたくしの祖父)を見送った際に言った言葉をいまでも覚えています。

 

「親父・・・なにもしてやれなかったな!」

 

中学生のころにこの言葉を聞いていたわたくしは、相当インパクトがあったのでしょう、父の病気を受け入れたときにふとこの言葉を思い出しました。

 

そしてそのとき、自分は、「ぜったい後悔だけはしない!」と決めたのです。

 

「後悔しない」とは、

 

  • 父に対してやってあげたかったこと
  • 言ってあげたかったこと
  • 父の希望(願い)を出来る限り叶えること

 

これらをあとあとに残さないということです。

 

もう少しわたくしの経験をお話いたします。

 

父の願いは、入院したくない。というでした。

 

そこで、身体の限界がくるまで家にいました。家族がもうここまでだと限界を感じ、病院へ連れて行こうとしたその日の早朝に、やはり限界がきたのです。救急車で運ばれました。

 

病院に着き、先生からは一両日中だと覚悟を言われます。しかし、奇跡的に一命をとりとめました。

 

意識の薄れる父は、それでも「帰りたい」と口にするのです。せん妄がはじまりつつもわたくしを頼り、とにかく退院したいという気持ちだけは伝わってきました。そこでわたくしは父を、主治医の反対をすこし押し切るような形で退院させました。

 

そこから家族や医療従事者のサポートのもと、一か月も父は穏やかに家で過ごすことができ、最後は家で見送ることができました。

 

その間、父の身体のケアをさせていただいた経験は、わたくしにとってすばらしい財産となりました。たいへんなことの中に、とてつもない達成感と、父になにかをしてあげられるという安心感、幸福感のようなものもありました。

 

最後までやれることはやったー。父を見送りすべてが終わった時に、不思議と、「感無量」という言葉が心の中からあふれていました。

 

家族との絆が深まる

弟と一緒に最後を見送ったことで、姉弟の絆もまたつながり始めたように思います。大人になると、兄弟間も疎遠になりがちです。(そうでないご兄弟もおありと思いますが、うちの場合はそうでした)

 

お互いの気持ちを吐き出さないことには、自宅で介護するという覚悟はできませんでした。実家に暮らす弟の協力なしでは、自宅で看取るということは実現不可能だったからです。

 

心に溜まっていた気持ちや、抱えていた気持ちをお互い吐き出すことで父の介護に集中することができ、なおかつ、弟との付き合い方や、弟自身を見直すことができた、とても良い機会でした。

 

幼い子供たちから教わったこと

父が元気だったころとかわらず父が自宅療養中も、保育園から帰ると必ず、「じいじん家にいきたい!」というので、いつもどおり毎日連れて行きました。

 

何をするわけでもなく、5歳と3歳の息子・娘は、「じいじ、ただいま!」と手をタッチして、おやつをたべてテレビをみて大騒ぎします。

 

父の反応はほとんど薄くなるなかで、孫の声が聞こえるときだけは、最後まで反応していました。

 

父のケアをしていると、娘は「ママ、かんごしさんみたいだね!」と言ってくれました。息子は、「そうだよ!じいじのかんごしさんだよ!」と。

 

子どもたちは、じいじの体の変化をちいさく感じているようでしたが、(あまりわかっていないのか)いつもどおりに接していました。

(そんな娘は、お葬式のときに、最後までじいじ、じいじ!と大泣きでした。)

 

いまではお仏壇に手を合わせて、お骨に手を添えて、「じいじただいま!」と言ってくれています。じいじが元気だったときも、自宅療養中も、そしてお骨となったいまも、いつもどおりの生活をしてくれる子供たちから、教えられます。

 

何ができるか(できたか)といったことに考えすぎなくても、いつもどおりに接する、毎日顔を見せるだけでいいんですね。

 

人のペースを守るということ

「普段通りに過ごすのが、お父様にとっては何よりの安心なんですよ」

 

自宅療養中にお話ししてくれた、訪問看護師さんの言葉を思い出しました。

 

『(父のケアをする日々で)夜いつも反省していまうんです、、そうだ、あれもしてあげたかったな、もっとこうしてあげればよかったかな、、』

 

こんな相談をしたときに、かけてくれた言葉が印象的でした。

 

「そうはいっても、お父さんはお父さんだから。こどもの心配をするのが親だから」

「普段通りに、過ごすのがいいんです」

「お父さんのペースで(身体のケア)やってあげてください」

 

そうだね、その人のペースが大事だね。その人のペースに合わせることがその人をたいせつにしてあげるということなんだ、ということをあらためて学びました。

 

たいせつなことを見失わない

最後に、親戚のお姉さんからいただいたメール文を一部抜粋してご紹介します。

 

あれから一週間。毎日毎日、思い出してます。

まるで、お日様の中で日向ぼっこしながら、居眠りしているような、おじちゃんの寝顔でした。あんな綺麗な寝顔、今まで何処でも見たことがない。子供が絵にかくような、にっこりマークの口もと。

 

あなたは明るく語ってくれてたけど、そこに行きつくまでには、想像もつかないような辛いことがいっぱいあったんだと思う。病気の発覚、治療、自宅療養を決めること、などなどたくさんの決断を乗り越えてきたんだと思います。

 

いつも、目の前の、あんまり大事じゃないことに振り回されているのを、おじちゃんに教えられた気がします。

「大事なことを見失うなよ、」って。

 

そう。きっと大事なことは、いたってシンプルです。

 

わたくしのミニマムな生活(衣食住)もシンプルであること。だからファッションもすべてシンプル。

 

たいせつなことだけに集中するためにはこれ(シンプル)が、やはり大事なんだと、いつもながら(やっぱりまたまた)再確認しています。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

(拝)

ABOUT ME
Junko Turuta
好きな言葉は、「シンプルに」・「心美しく」。 苦手なことは、「人と同じこと」と、「自分らしく振る舞えないことの全て」。 美しい人生とは、美しい装いであり、美しい志事(仕事)をすることだ。